BROKEN ARROW
ブロークン・アロー
COLUMN 004
 
 ブロークン・アロー Broken Arrow
 ブロークン・アロー(折れた矢)――それは、核兵器の紛失を意味する、アメリカ軍の戦略シュミレーション用語である。ペンタゴン(アメリカ国防総省)で実際に使われている暗号であり、核兵器が行方不明になった時にこの暗号で世界中に展開しているアメリカ軍にアラートがかかるのだ。
 
 核の紛失・拡散の恐れ

 冷戦が終わり、米ソの強力な締めつけがなくなったとたん、世界のあちこちでは地域紛争が起こり、より過激なテロ事件が頻発するようになった。日々流される報道のなかで爆弾テロや内戦のニュースが伝えられない日はない。経済混乱が続いているロシアでは国防予算の削減と、軍そのものの士気の低下から、核の管理が甘くなり、次々と核が盗まれている。盗まれた核は東欧諸国を経てヨーロッパに流れ、ドイツではソ連製の核のブラックマーケットができていると言われているが、ここで売られた核がいったいどこに流れているか、現在のところ実態はまだ謎のままだ。
 1994年6月17日付の朝日新聞は『核物資の盗難、1年半で10件――ロシア、高濃縮ウランも含む』という見出しで次のような記事を掲載している。
(モスクワ、16日=西村陽一)ロシア原子力省のリャベフ第一次官は16日、この1年半の間にロシアで核燃料物資の盗難が10件発生し、そのうちの1件は、核分裂を起こしやすいウラン235の高濃縮ウランの盗難であることを明らかにした。(中略)高濃縮ウランが盗まれたのはモスクワ州ポドリスクの科学生産センター(ルチ)で、従業員の一人が「長期にわたって」約1.5キロを入手したという。犯人は4月に逮捕され、ウランも押収された。どこに売ろうとしたのか、背後関係を調べているという。(中略)この事件とは別に、ロシア連邦防諜局は、この3月にサンクトペテルブルクで、90%高濃縮のウラン235約3キロを、ドイツに1グラム300ドルで売ろうとした3人組を逮捕した。このウランが盗まれたのは近郊の工場で、犯人の2人は肉屋の従業員と水道工事職人、工場からコンテナで高濃縮ウラン235約3キロを運び出したという。(中略)西側でロシアの核物資管理に対する懸念が高まっていることについて、リャベフ第一次官は「西側のいくつかの国は、ロシアの核技術市場に関心を持ち、それを奪おうとしている。危険性を指摘することで、ロシアの信用を落とそうとしているのだ」と語った。
 核弾頭及びミサイル技術も、紛争要因を抱える諸国に拡散する傾向にある。インドやパキスタンは1998年に核弾頭の開発を終了して核保有国となった。北朝鮮とイランは1999年頃から戦略ミサイルの能力を向上した。北朝鮮は、平壌で行った米朝高官協議の場で、核兵器用の濃縮ウランの開発を秘密裏に進めていることを認めている。中国、パキスタン、イラン、北朝鮮等は、既に核を保有している国々による核独占に対抗して、核・ミサイル技術を開発する国際共同体を形成しているとされている。旧ソ連が解体し、新生ロシアは経済的に混乱していて、旧ソ連の核・ミサイルの高度技術者が仕事を求めて世界中に流出し、技術が拡散している。2000年に入って、ロシアは、アメリカの一極支配に対抗する立場から、中国、北朝鮮をはじめ旧ソ連圏の諸国等との間で、軍事協力体制を再構築する姿勢を強めている。ロシアが保有する核・ミサイル高度技術の拡散を懸念させる新しい動きである。
 
 
 ブロークン・アロー作戦

 1966年1月16日深夜、チャールズ・ウェンドーフ機長以下7人が搭乗するB-52ストライト・フォーレス爆撃機は僚機とともにノースカロライナ州ゴルズボロにある戦略空軍第68爆撃隊本部を飛び立った。目的は地中海だ。積荷は極秘だが25メガトン水爆4個(広島型原爆5千個分)であることはクルー全員が知っていた。当時、戦略空軍では水爆搭載のB-52による世界戦略パトロールを24時間体制で続けていた。コースは3つ。グァムと沖縄を基地とする極東上空、アラスカを基地とする北極圏上空、そしてスペインを基地とする地中海上空である。アメリカ本土から発進したB-52は大西洋横断で燃料の半分を使うから、空中給油をスペインのパロマレス沖上空で受けることになっていた。本土から大西洋を渡って来たウェンドーフ機は翌1月17日午前10時11分、給油を開始。給油を続けながら海岸線を越えパロマレス上空にさしかかった。午前10時30分、突然、B-52の右側エンジンが火災を起こし、爆発。一瞬のうちに水爆4個を積んだB-52が空中分解した。ウェンドーフ機長ら3人が自爆脱出装置で脱出し、負傷はしたが命は助かった。そして4個の水爆も爆発することなく、パラシュートを開いてゆっくりと地上に落下していったのである。
 この報を聞いた大統領、国防総省、戦略空軍も直ちに緊急態勢をとった。これが80日間にわたる水爆探しの「ブロークン・アロー作戦」の開始だった。作戦の費用は1日約100万ドル。総計1億ドル(当時のレートでは360億円)にものぼる大作戦となったのである。
 夜に入ってアメリカ本土から到着した科学者、技術者たちが暗闇のなか、ガイガー・カウンターで飛行機の残骸と付近の地面を調べ、その夜のうちに地面から放射能を検出した。ということは水爆の起爆に使うTNT火薬が落下時の衝撃で爆発し、爆弾の外側が壊れ、ウランとプルトニウムが飛び散ったことを意味している。
 放射能が検出されたトマト畑では厳重な立ち入り規制が実施され、続々とアメリカ兵が投入された。その数は1000人に達した。彼らは白いマスク、帽子、そで口やズボンの先、ポケットを白いテープでしっかり塞いだ異様な姿でガイガー・カウンターを握り、水爆捜索を展開。こうして、3発の水爆が、1.5キロほどの間隔で落ちているのが見つかったのである。発見された3発のうち2発までがTNT火薬の爆発で破壊され、プルトニウムやウランが爆弾から数100メートルの範囲に飛び散っていることがわかった。
 核爆発事故を防止するフェイル・セーフ装置のために核爆発は発生しなかったが、装置の何重もの電子ロックのうちいくつまで外れていたかは、現在まで極秘のままである。ともあれ、地上の作戦は約1ヶ月半で全て終了したが、残りの1発は海中に沈んでいるらしく、地上では発見できなかった。
 アメリカ軍は特殊作業用潜水艦などを大動員して海底を捜索し、事故発生後57日目にして、ようやく水深777メートルの海底で水爆を発見した。水爆は破損していないようだったが、一度衝撃を受けたTNT火薬が爆発する可能性もある。発見後、冷汗をかくような緊張感のなかで慎重な引き上げ作業が3週間も続いた。そして、ついに4月7日午後8時45分、長さ3メートルほどの銀色の水爆が潜水救助艦ペトレルの甲板に引き上げられたのである。爆発したB-52から放り出されてから79日と22時間余り後であった。
 この事件はブロークン・アロー作戦が公になった最初であったが、その後、核兵器を積んだ爆撃機が日本海で墜落し、引き上げられるまでに数年かかったとされている。しかし、この時の作戦は極秘で実施されたため、その詳細は一切わからない。