NUCLEAR WEAPON
冷戦終結後も色濃く残る核の脅威
COLUMN 002
 
核兵器の誕生 birth
そもそも原子力開発というものは1938年の12月、ドイツの科学者たちにより、「ウランの原子核に中性子が飛び込んだ際、核分裂反応を起こして極めて大きなエネルギーを発する」という現象が発見されたことに端を発している。たった1キロ分のウランが核分裂反応を起こしただけでTNT火薬約2万トン分に相当する爆発エネルギーが発生するといわれ、そうした核分裂反応のすさまじい威力に目をつけた米国が翌1939年にいわゆる「マンハッタン計画」と呼ばれる原子力の軍事利用のためのプロジェクトを発動。新型爆弾の開発に着手したのだ。そして1945年、米国は初の原爆実験を成功させ、広島と長崎への原爆の投下に踏み切った。
 
冷戦の始まり cold war
なぜに核兵器がかくもたくさん世界中にあふれてしまったのか。その答えは冷戦≠ニ核抑止論≠ニいうふたつのキーワードの中に隠されている。原爆という圧倒的な兵器を手にした米国はその力を最大限に利用して第二次世界大戦後の国際政治の主導権を握るつもりだったが、イデオロギーで激しく対立するソ連が1949年に早くも原爆実験に成功してしまい、目論見はご破算となる。分断されたドイツを境に東西に引かれたイデオロギーの壁を隔てて、米国中心の西側陣営とソ連中心の東側陣営が互いに核≠フナイフをのどもとに突き付けてにらみ合う、いわゆる冷戦構造ができあがってしまったのだ。そして両陣営はとめどない軍拡の方向へと進んでいった。
 
核抑止論 deterrence
相手の核攻撃に対抗するためには、相手にスキを見せず、相手を抑え込めるだけの圧倒的な攻撃力が必要となる。こうして互いに牽制し合えば、互いに思うように攻撃できなくなり、結果として核戦争の抑止につながる。というのが、核抑止論の基本的な考え方だ。ところが、常に相手の核攻撃に疑心暗鬼になってしまい、より強い力で抑え込もうとした結果、国家の方向性は軍拡へと向かった。もちろん相手側も同じように考えるので、核兵器開発競争がどんどんエスカレートしてしまったのである。原爆より強力な水爆、互いに相手の本土を攻撃できる米ソの大陸間弾道ミサイル、局地戦に対応した小型の戦略核ミサイルなどなど。考えてみれば、基本的に相手を信用していないのに、核配備を整えれば相手が攻撃を仕掛けられなくなるはず、と信用してしまうのもおかしな話だが、いったん軍拡方向に進み始めた船の進路は容易には変えられなかった。
 
冷戦終結〜現在 present danger
猛烈な核軍拡競争を生んだ冷戦だが、ソ連の崩壊によってあえなく終結を迎える。しかし、核抑止論の方はそう簡単に消えてなくなったりはしなかった。既に大量の核兵器がこの世に存在している以上、核保有国にとっては核兵器を減らすのは容易ではないし、既得権益をやすやすと手放す気などあるわけもない。おまけにそうした核の不平等性に反発した小国が次々と核保有を目指し、また、崩壊後のロシアから核物質や技術者が流出したこともあって、あらゆる組織が核を保有できる下地ができあがってしまった。そして現在、冷戦構造は消えても核抑止論はしぶとく生き残っているのである。